宮原知子の両親(宮原亮・裕子)は京都の病院に勤める医師!兄弟は?
フィギュアスケートの若手期待の星、宮原知子(みやはら さとこ)選手。
努力家のアスリートでありながらも頭がよく、英語も堪能という文武両道な選手なんです。
文武両道の理由ともいえるのが両親(父・宮原亮、母・宮原裕子)の存在。
なんと2人とも京都の病院に勤める医師!
両親はどんな人?どこの病院なのか兄弟はいるの?など宮原知子選手の家族に迫ってみました!
文武両道!宮原知子
2011-2012シーズンの全日本ジュニアで13歳という若さで優勝。
2014年の四大陸フィギュアスケート選手権でシニアに上がってから初の表彰台(2位)に昇った宮原知子選手。
ソチ五輪出場は出来なかったものの、こつこつと努力した結果を出し続けてきました。
関西大学中等部卒業後、2013年4月に高等部に進学。
学校から帰ったらまっすぐスケートリンクに向かい、黙々と練習をしているとのこと。
これを聞くと、勉強なんてする暇ないのでは?と思いますよね。
ところが、宮原知子選手は全国模試でも上位になるほどの学力を持っています。
20番台に入ったこともあるとか・・・。
フィギュアの練習を毎日やるだけでも相当疲れるはずですよね。
よく帰ってから勉強、という気になれるなぁと感心しますw
フィギュアの試合で遠征する時も、宿題を持って行ってしっかりやっているそうですよ。
スポーツに対してだけでなく、勉強に対しても努力家なんですね。
宮原知子の両親は2人とも医師だった!
スポーツ万能、成績優秀。
漫画に出てくるヒロインみたいですw
それも遺伝なのでしょうか・・・??
実は宮原知子選手には医師のご両親がいるんです。
父・母2人とも医師なんてすごいですよね!
さらに、ご両親の仕事の都合で小学2年(7歳)までアメリカのヒューストンで暮らしていました。
当時ご両親は大学病院で勤務されていたようなので、研究留学か臨床留学だったのだと思われます。
そのため、宮原知子選手は小学2年生で「英検2級」を取得するほどの英語力を持っています。
インタビューでの通訳なしで答えられるそうです。
高校2年でやっと2級を取って喜んでた自分が悲しい・・・・ww
そしてスケートを始めたのが、ヒューストンにいた「4歳」の時。
アメリカのショッピングモールにあるスケートリンクで滑ったのが始まりだったそう。
その後アメリカのスケート教室に通い、小学2年生で帰国して濱田美栄コーチに師事したとのこと。
スケートを始めた頃は、発表会に行く前に泣いてしまい、出場できなかったこともあったとか。
今の堂々と滑る姿は努力の賜物なんです。
・・・アメリカってモールにスケートリンクがあるんですね!ww
気軽にスケートに触れられる機会があるのっていいなぁと思います。
父親はどんな人?
娘は父親に似るといいますが、宮原知子選手はどうなのでしょうか?
お父さんがどんな人なのか、気になって調べてみました!
すると、お父さんは「京都市立病院呼吸器外科」の部長「宮原亮(みやはら りょう)」さんであることが分かりました!
京都大学医学部付属病院呼吸器外科の講師も務めています。
また、2002年に「テキサス大学付属MDアンダーソンがんセンター」に留学経験があります。
その時にヒューストンに住んでいたのでしょう。
ということは、宮原知子選手が3~4歳の頃ですね。
なんだかいろいろな肩書も持たれています・・・!
日本外科学会専門医 日本胸部外科学会認定医 日本呼吸器外科学会専門医評議員 日本臨床腫瘍学会暫定指導医 日本呼吸器学会呼吸器専門医 |
2013年にNHKで放送された「アスリート魂」でも宮原知子選手をリンクまで送る姿が映っていました。
宮原知子選手はお母さん似のようで、お父さんにはあまり似ていないですね。
宮原亮さんは1987年に京都大学の医学部を卒業されています。
エリートなのかと思いきや、高校の時の成績はあまりよくなかったそうです。
逆に運動神経だけは良い体育会系w
大学も体育大学を勧められていました。
しかし高校3年生の時に、いきなり医学部を目指すと言い出し、猛勉強して京大医学部に合格!
宮原知子選手の運動神経の良さと努力家なところは、お父さんに似たのでしょうね。
ちなみに、高校1年生当時「アンカー(関西ローカルTV)」での特集で宮原知子選手が食べていたお弁当。
お父さんが作ってくれたものでした。
料理もできるんですね~。
母親はどんな人?
父だけでなく母親も医師という宮原家。
母親はどんな人なのでしょうか??
お母さんの名前は「宮原裕子(みやはら やすこ)」さん。
医師として働いている病院はおそらく旦那さんと同じく「京都市立病院」だと思われます。
「京都市立病院血液内科」の副部長に「宮原裕子」さんの名前がありました。
また、関西大学のトピックスに学長を訪問した時の写真が掲載されています。
女性はスーツの方を除いて1人だけ。
紫?ピンク?っぽいツイードの服を着た方が宮原裕子さんですね。
医師紹介に写真などがなかったため、京都市立病院の「宮原裕子」さんと同一人物かどうかははっきりと分かりません。
ただ、可能性としては高いと思います。
人の命を預かる医師でもあり、母親でもある裕子さん。
「患者さんが一番。でも娘のやりたいことは全力で応援する。指導医としても後輩医師に恥ずかしくない背中を見せたい」
と力強い言葉を仰っていました。
医師は忙しそうなイメージがあります。
実際に忙しいのでしょうが、娘のサポートも全力。
宮原知子選手のメンタルの強さはお母さん譲りみたいです。
兄弟(姉妹)はいる?
ご両親の話は特集でもよく出てきます。
でも、兄弟(姉妹)の話は出てきませんよね。
1人っ子だと思い込んでいましたが、ちょっと調べてみました。
すると・・・
・妹が2人いる
・宮原知子選手の他のあと1人子供がいる
という情報が出てきました。
1人なのか2人なのか?w
一般人ということもあり、明確な情報が出てきませんでした・・・。
しかし、調べていると2010年11月にフィギュアファンの方が投稿した写真を発見。
「宮原知子選手と妹さん」とあるので、1人妹がいる可能性は高いです。
スケート場で撮られているということは、妹さんもフィギュアをやっているかもしれませんね。
スケートを続けられたのは祖母の存在が大きい
宮原知子選手にはおばあちゃん(祖母)がいます。
京都府山科に暮らす宮原淳子さん。
宮原知子選手の両親は忙しく家を不在にすることが多いため、日々の面倒をおばあちゃんが見ていました。
フィギュアスケートは濱田美栄コーチの元で続けていますが、過去にホームリンクである醍醐スケートリンクが閉鎖されてしまったことがありました。
それからは家からはやや遠い大阪、奈良、兵庫のリンクに通う必要がありました。
その日々の付き添いをおばあちゃんがやってくれたのです。
おばあちゃんは毎日夕食のお弁当を作ってくれて、学校まで迎えに行ったそうです。
しかし、運転免許を持っていなかったため、一緒に電車に乗って練習リンクまで行きました。
そんな献身的なおばあちゃんには感謝しても感謝しきれないですね。
ちなみに宮原知子選手はおばあちゃんから「サトちゃん」と呼ばれているようですw
練習の帰りには両親のいずれかが迎えに来てくれたそうです。
おじいちゃん(祖父)は数年前に亡くなられています。
おじいちゃんは製薬会社で薬の分析をしてる研究職だったそうです。
まとめ
以上、宮原知子選手の家族について調べてみました!
宮原知子選手の将来の夢は「オリンピックで金メダルを獲ること」
しかしご両親が医師ということで、フィギュアと勉強を両立して医者を目指すという選択肢も考えているようですよ。
と、簡単に書きましたが実際にめちゃくちゃ大変ですよねww
フィギュアでトップ選手として練習しながら医者を目指すなんて出来る気がしません。
でももしかしたら、努力家の宮原知子選手なら可能なのかも・・・?
なんて思わせてくれる努力の天才ですね。
個人的にはフィギュアスケーターとしての活躍に期待したいです!!